食彩フェスタでは多くの方々とお話ができました。中でも、気仙沼ホルモンを焼いていた方から
聞いたお話は、数日前に自分が被災地を見てきたこともあって、今までとは違ってとても身近に
聞こえました。
津波が押し寄せて来たとき、「今まであんなに怖い目にあったことはなかった」と言われました。
テント前に貼ってあった写真で、「ここが私の家があった所です」と教えてくれました。
震災から1年5か月になり、「だんだん忘れられ、自分たちが取り残されていくのがこわい」「現地
の様子を周りの人たちに伝えてあげてください」とも言われました。
被災地の今の様子です。
気仙沼の市街地には今も大型漁船 が打ち上げられたままです。陸前高田市の大船渡線には
夏草が生い茂り、踏切跡が残るのみです。 「奇跡の一本松」も海水にまみれて瀕死の状態の
ようでした。
南三陸町では、建物がほとんどなく、遠くまで見渡せてしま
う風景が悲惨でした。
石巻市の門脇小学校では、窓がほとんどなくなった校舎を前に、子どもたちが野球をしていまし
た。児童・教師合わせて80人余りが犠牲になった大川小学校には、子どもたちのかいた壁画が
今も残っていました。
どれも重い現実でした。