田峯小学校閉校式が行われました。
式の中では、多くの皆様から、田峯小学校に対する愛を伝えていただきました。
150年、多くの方々に支えていただいた田峯小学校。
幕を下ろします。
田峯小学校ブログもこの投稿をもって終了します。
これまで、ご愛読いただき、ありがとうございました。
田峯小学校閉校式が行われました。
式の中では、多くの皆様から、田峯小学校に対する愛を伝えていただきました。
150年、多くの方々に支えていただいた田峯小学校。
幕を下ろします。
田峯小学校ブログもこの投稿をもって終了します。
これまで、ご愛読いただき、ありがとうございました。
修了式でした。
修了証を一人一人受け取りました。
1年間でがんばったこと、できるようになったこと、楽しかったことと、来年度、がんばりたいことを話しました。
希望をもって、統合先の学校へ進んでください。
全力で応援します。
田峯小学校として、最後の卒業証書授与式でした。
卒業生が立派につとめました。在校生も、感謝の思いを全力で伝えていました。
厳粛な中にも、温かさがあふれていて、感動で思いがあふれる卒業式でした。
6年生が最後の給食でした。
「今日は、田峯小学校での最後の給食です。」とあいさつの前に話しました。今日は、調理員さんにも、会食に参加していただきました。
調理員さんは、みんなのリクエストメニューを覚えていてくださっていて、リクエストメニューではない日に、みんなのリクエストしたメニューが出ると、その子の顔を思い浮かべて調理をしてくださっているというお話をうかがいました。
また、先週金曜日が最終勤務だった先生が、子どもたちに手作りの品をプレゼントしてくださいました。
温かさを感じる一日でした。
6年生が卒業に向けての活動を進めています。
田峯小クイズは「もうすぐ閉校になってしまう田峯小のことをみんなに覚えていてほしい」との願いをかけて企画、準備してきたそうです。田峯小学校の歴史を3択問題にして出題しました。みんな楽しみながら、田峯小学校のことを学びました。
卒業記念作業として、ブランコのペンキ塗りもしていました。「なんということでしょう。5・6年生の匠の手によって、くすんでいたように見えたブランコが鮮やかに生まれ変わりました。」校舎を背景にして写真を撮ると、マッチしているように見えました。
田峯小学校を未来へつないでくれています。
2年生が生活科の学習で、学級園で育てたコーンを使って、おいしいポップコーンを作りました。
手際よく作っていました。
学習でお世話になった地域の方にお届けしました。全校のみんな、先生たちを招待してくれました。手書きのお知らせをつくって渡したり、多目的室を飾り付けたり、5つの違った味を考えて味付けしたり、食べ終わった人からポップコーンづくり体験をできるようにしたり、楽しいことが満載のポップコーン屋さんでした。
味を楽しむだけでなく、みんなを楽しませようという工夫もいっぱいで、いろんな意味でおなかがいっぱいになりました。
ありがとうございました。
5年生が企画、準備、運営をした「お別れハイキング」が行われました。
6年生の家を訪ねて、町道を通って、2.5kmの道のりを歩いていきました。昨日の雨で、路面は砂利や落ち葉がたまっていましたが、車が通らないので、安心はできました。
6年生は、「(全校のみんなや先生たちが家の庭にいることが)新鮮でした。楽しかったです。」と話していました。
5年生が、全校を仕切って進めていて、最高学年になる準備が整ったなという感じがしました。立派でした。
コロナ禍で、給食は子どもたちと担任、給食担当で食べていました。
コロナ過を越え、職員室で食べていた職員も、いっしょに給食を楽しく食べ始めました。
校長は、勤務が3年目になるそうですが、初めて、講堂でいっしょに食べたそうです。
職員と子どもたち、残り4回の給食を全力で楽しみます。
なお、写真は、先週の金曜日に撮影したものです。
閉校記念碑の土台をつくる工事が始まりました。
「ここに学ぶ」の碑の位置移動も行っていただいています。
閉校記念碑は、3月23日(土)お別れ会で、除幕式をしてお披露目します。
「最後の」〇〇が増えてきて、いよいよ実感します。
なお、本日は、東日本大震災から13年。国旗を半旗にして、追悼の思いを表現しました。
避難訓練でした。
事前予告なしで行いました。
運動場にいた子たちは、身を低くし、頭を守る姿勢を取りました。室内にいた子は、ヘルメットをかぶり身を守った後、避難場所へ移動してきました。
石川県の小学校のHPに、「朝起きて、水道で顔を洗って、温かいご飯と味噌汁を食べ、学校で過ごして、風呂に入って寝る。そんな当たり前のことが当たり前でないこと、当たり前だと思うようにしてくださる方の存在に気づかされました。」(石川県穴水町立向洋小学校HP 2/28の投稿より)と書かれていました。
いざというとき、身を守れるよう、そして、今ある生活が当たり前ではないことを感じて生活してきたいと思います。