2012年3月アーカイブ

訪米シリーズ~最終回~

第8回青い目の人形アメリカ訪問clip_image001

ホームステイ

4 年 小川多貴

わたしがアメリカ訪問で一番楽しみにしていたことは、ホームステイです。ホームステイをした4日間は、期待通りとても楽しい物でした。

わたしがホームステイをしたイバタ-アレンスファミリーは4人家族で、犬とねこを飼っていました。お母さんの名前はキャサリンです。日本語がわかる人だったので、わたしたちが話すこともほとんどわかってくれました。言いたいことをうまく伝えられないことが一番心配だったので、とてもほっとしました。

家族の中には私たちと同じ4年生の、エリザベスという女の子もいました。エリザベスは公文に通っていました。アメリカにも公文があるなんて知らなかったので驚きました。学校から帰って、エリザベスが公文に行っている間、わたしたちはお母さんのキャサリンと一緒に、スーパーマーケットに行きました。アメリカのスーパーマーケットは日本よりも品揃えが多かったです。一番いんしょうにのこっているのはジャムです。すごくたくさんの種類のジャムを売っていました。それとは反対に魚はあまり売っていなかったです。

clip_image001その日の夜は、エリザベスのお友達も来て、みんなで手巻き寿司パーティーをしました。エリザベスが踊りを見せてくれたりして、今までで一番楽しい夜でした。

はじめは、アメリカの人と仲良くできないんじゃないかと思ってとても心配でした。でも、わたしのホストファミリーはとても明るくて優しい人たちでした。エリザベスとも仲良くなれて、とても楽しい4日間でした。

学 校 交 流

4 年 山本実乃里

わたしが学校交流の中で一番緊張したのは、全体交流会でのリコーダーです。わたしは緊張すると、すぐに息切れしてしまいます。4曲演奏した中で、3曲はだいたいうまくできました。でも『上を向いて歩こう』だけは、アメリカの子が手拍子をしてくれたけれど、曲とリズムが合わなかったので、うまくいきませんでした。

自己紹介では、マイクを持って話したのでとても緊張しました。練習でも自分の番が来ると手がふるえてしまいます。本番でもそうだったけれど、ちゃんと大きな声で言えたし、英語もちゃんと通じたと思うので良かったです。広大くんが自己紹介の時、レゴが好きだと言ったらすごく盛り上がったので、アメリカの子もレゴが好きなんだなあと思いました。

clip_image002伝統遊びの紹介では、わたしは康佑君と一緒にけん玉を紹介しました。これまで日本で練習してきたことを生かせるようにと思ってがんばりました。もしもアメリカの子がけん玉のやり方を間違えていたら、もちろん英語で教えてあげます。わたしが見た限りみんな一生懸命けん玉をやっていました。とてもうれしかったです。だからわたしも、知っている限りの英語で教えてあげました。練習している内に、アメリカの子もすごく上手になってきたので、これだとわたしの方が負けちゃうなあと思い、『もしかめ』を見せてあげました。そうしたら、

「ブラボー。」

と言って、すごくほめてくれました。すごくうれしかったです。

授 業 体 験

4 年 泉保琴麻

わたしは国語の授業を体験しました。先生が言っていることがわからなくて、ただ聞いているだけでしたが、ときどき知っている単語が出てきました。次に、地球の絵をかきました。かくのに夢中になっていると、康佑君のお母さんが見に来てくれました。絵を見てもらったら、

「上手だね。」

と言ってくれたので、うれしかったです。

clip_image003 その夜は、ホームステイ先のお母さんが、壮くんと広大くんのステイ先に連れて行ってくれました。そしてみんなで夕食を食べました。夕食はローストビーフ、ブロッコリー、ジャガイモなどです。

「ポテトは日本語でなんて言うの?」

と聞かれたのに、緊張のあまり忘れてしまって言えませんでした。夕食は自分で食べたいものを好きな分だけよそって食べるので、楽しかったです。食後はみんなでレゴやウィーで遊びました。とっても楽しかったので、帰るとき少しさみしくなりました。

ホームステイ

4 年 竹下裕唯

わたしは、アメリカ訪問にはホームステイがあるよ、と聞いたときからホームステイのことがとても心配でした。初めて会う人たちと仲良くできるか、すごく心配だったし、ホストファミリーに会う前は、すごく緊張していました。でも、初めてホストファミリーに会ったとき、笑顔でむかえてくれて、とても親切にしてくれました。すごくうれしかったし、ほっとしました。

ホームステイは楽しいことがたくさんありましたが、中で一番印象にのこっているのは、地下室と、食べ物のことです。

わたしがホームステイをしたウィルキンスさんファミリーの家には地下室がありました。地下室があるだけで、わたしはとてもびっくりしましたが、地下室がとても広くて、ホッケーができることにはもっと驚きました。みんな、意外と強くてびっくりしました。とくに、アンナちゃんとジョニー君は強かったです。でも、わたしも3回勝ちました。うれしかったです。

clip_image005 もう一ついんしょうにのこっているのは食べ物のことです。朝ごはんで食べたクロワッサンは、日本で食べるものよりずっとおいしく感じました。アメリカのスーパーマーケットにも連れて行ってもらいました。とても広くて、いろいろなものが売られていましたが、その中におすしもあってびっくりしました。アメリカの人もおすしを食べるんだなあ、と思いました。

アメリカは飛行機で12時間もかかるのでとても遠いけれど、またいつか、ウィルキンスさんの家に行って、アンナちゃんやジョニー君と遊びたいです。

日本とちがうアメリカの小学校

5 年 近藤綾美

clip_image007私の思い出は学校交流です。特にアメリカの子との授業が思い出に残っています。1時間目は算数でした。アメリカは日本と違って、1つの単元について集中的に勉強するのではなく、いろいろな単元を短時間でいくつもやっていました。それもみんな同じようにやるのではなく、2人組になってやりました。内容は手の長さをはかったり、数字のカードを使ったゲームで足し算をしたりするような日本にはないやり方で授業をしていました。2時間目の図工も、有名な絵の模写で、日本ではないようなことをしていました。私にとってその違いがとても楽しかったです。

心に残ったアメリカでの歌舞伎

5 年 原田広大

clip_image009 ぼくがアメリカ訪問で一番心に残っているのは歌舞伎です。歌舞伎の2回目の公演の時が心に残っています。2回目の公演会場はとても広くて、田峯の客席の7~8倍ぐらいあるとても大きなホールでした。ぼくは梅王丸という役をやりました。梅王丸は荒事の役なので強そうに見せるのがともて難しい役です。しかも、ホールはとても広かったので、練習の時よりもさらに大きな声を出さなければいけませんでした。しかし、広いホールでも大きな声が出せたし、所作も大きくできたので良かったです。歌舞伎が終わってロビーに出たら、見に来てくれた人たちが「上手だったよ」と言ってくれたので歌舞伎の面白さを分かってもらえたと思います。

Thank you from the bottom of my heart!

(心の底からありがとう!)

5 年 神田康佑

clip_image011ぼく達は1月17日から26日までアメリカ訪問に行ってきました。たくさんの思い出の中で特にぼくの思い出に残っているのは歌舞伎です。歌舞伎の演目は車引きで、ぼくは時平公の役をやりました。ぼくが特に難しかったところは、手を大きく回してから見得を切る所作と梅王丸や桜丸をにらみつける場面です。1月20日に1回目の歌舞伎公演がサウス中学校でありました。サウス中学校の公演ではウィンザー小学校の子が仕丁役で参加してくれました。2回目はイリノイ大学で公演をしました。大きな声が出たし、所作も大きくできたと思います。このアメリカ訪問でとても貴重な経験ができました。こんな経験ができたのもアメリカ人、また田峯の人たちに支えられたからこそできたと思います。ぼく達を支えてくれた人たちにみんなに心から感謝しています。

Thank you コノパッキー・ファミリー

6 年 後藤克希

ぼくのアメリカ訪問の思い出は、ホームステイです。ぼくのホームステイ先は、第6回訪米で一番上の兄がホームステイしたところと同じでした。その弟が来たということもあり、すぐに仲良くなりました。ぼくは、英語で話しかけられて、意味がわかるものもあればわからないものもありました。テレビゲームの途中、ホームステイ先の子が「ウェイト!」と康佑くんに言いました。ぼくclip_image013はその時、意味がわかったのですぐに康佑くんに伝えることができました。また、ホームステイ先のママさんが、インターネットを使って英語を日本語に翻訳して見せてくれました。それはとても助かりました。3日目の夜、ぼくと康佑くんはホストファミリーに頼まれて、日本から持っていったリコーダーを演奏しました。演奏したらとても喜んでくれました。ホストファミリーの人たちに最後にしっかりお礼ができて良かったです。

気合の入った演技

6 年 田村 壮

ぼくのアメリカ訪問の一番の思い出は歌舞伎です。ぼくの歌舞伎の目標は「梅王丸と所作を合わせる」と「おなかに力を入れてセリフを言う」の2つでした。毎日この2つのことに気をつけながら練習をしてきました。

clip_image015そしてアメリカでの最初の公演の日が来ました。緊張せずにいつも通りやろうと思っていましたが、やはり緊張のせいか所作を間違えてしまいました。2カ月も練習してきたのに失敗してしまったのでとても悔しかったです。でも、そのおかげで、次の公演は絶対に成功させるぞという強い気持ちで臨めました。しかし、本番を待っている間時差ボケのせいか眠たくなってきました。そこで克希君に気合いを入れてもらい、何とか集中して演技ができました。自分がセリフを言っているときにホールに声が響いていることに気づきました。とても気持ちよかったです。2回目は大きな失敗もなく、うまくできたと思います。とても緊張したけど今までで一番いい演技ができました。アメリカのお客さんからたくさんの拍手をもらえたのでよかったです。

アメリカ訪問 概要 NO3

1月23日~24日(アメリカ)

第8回草の根国際交流 青い目の人形アメリカ訪問使節団 記念誌より

英治先生のアメリカからのメール記事を中心に編集

 

1月23日【アメリカ】 

今日は朝から雨模様のシカゴ。しかし、昨日ほどの冷えはない。今日は6時30分からの朝食。時間が早いので心配したが、子どもたちはみんな時間に集まった。(大人たちは打ち上げの影響からかやや集まりが遅かったが)日程はシカゴオヘア空港からロサンゼルスにアメリカ国内移動。谷高座の人たちは一足先にオヘア空港から日本に向かって旅立っていく。image

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image シカゴにいる間ずっとお世話になった平松さんともここでお別れ。平松さんの話では、佐藤先生から歌舞伎終了後に電話があり、「すばらしい歌舞伎をありがとうございましたと伝えてください」とのことだった。クラナートセンターはなかなかスケジュールが詰まっていて、普通の人がとれる場所ではないとのこと。たまたま空いていたところに、田峯の歌舞伎を入れることができたそうだ。イリノイ大学クラナートセンターの楽屋通路の壁にたくさんの名前が書いてあった。田峯の一行の名前も書いてよいとのことだったので、みんなの名前を書かせてもらった。いつか、大人になってクラナートセンターに来ることがあったら、子どもたちも懐かしく見ることができるだろう。「イリノイ大に留学したい、そのために英語をもっと勉強したい!」なんていう子どもができたらすごいと思う。1日経って冷静に考えると、田峯の子どもたちはすごいことをアメリカでやってきたのだと実感した。

オヘア空港では時間があったので空港内で軽くショッピングを楽しむ。壮君と康佑君は2人で空港内のマクドナルドへ行き、自分たちの力でコーラを頼んで買って来た。4年生の女の子4人は可愛いぬいぐるみのような帽子をそれぞれ買って来た。ぜひ、登校するときにかぶってきてほしいと頼んでみた。子どもたちの順応性の速さはさすがだと思う。日本にいた数日前ではきっとこんなことはできなかっただろう。度胸も付いたし、英語を聞き取る力も確実に付いている。飛行機に搭乗するときも外国人のキャビンアテンダントの挨拶に何気なく答える子どもたち。アメリカ訪問のもたらす大きな効果を感じている。

飛行機では離れた座席になってしまった。琴麻ちゃんは3人がけの一番窓際、しかも隣には見知らぬ外国人。緊張しているようだった。隣の年配の黒人女性に「彼女は緊張しています」と伝えたところ、「私たちも日本に向かっているから、見ていてあげましょう」と言ってくれた。果たして、飛行機を降りたときに琴麻ちゃんはなんというか楽しみだ。友達同士でとったはずのチケットだったが、うまく隣同士になれない子がたくさんいた。特に4年生の女の子たちと広大君は両サイド、もしくは隣が外国人という状態だった。トイレに行けるかどうか心配だったが、琴麻ちゃんを含めみんなちゃんと「エクスキューズミー」と言いながらトイレに向かっていった。すごい!移動中は寝ている人が多かった。

予定にはなかったがアナハイムについた後時間があるので、今日のうちにディズニーのパレードを見て、明日はゆったり遊んだらどうかと言う話になった。ところがアナハイムは珍しく雨。パレードはできないかもしれないということで、ディズニーストアで今日は買い物をすることにした。

雨が降ったせいでディズニーストアも外はとても寒かった。めいめいお土産にしたいものを選んで買って来た。夕食はエビ料理の店に行ったが、たまねぎが辛すぎて食べられない人が多かった。明日は1日中、ディズニーランドでエンジョイします!

1月24日【アメリカ】 

アナハイム2日目。今日の日程は1日ディズニーランドを満喫すること。子どもたちにとっては唯一の自由な時間である。歌舞伎公演を頑張った子どもたちへのプレゼント。今日は昨日とは打って変わって天気がよく、日中の気温も20度以上と暖かい(暑い?)日となった。image

   日本にいる段階では絶叫系の乗り物が好きな子とそうでない子とに別れて別々に行動する予定だったが、絶叫系が苦手だという多貴ちゃんや琴麻ちゃんもみんなと一緒にまずはカリブの海賊へ。乗ってみると意外と面白かったのか、次はインディージョーンズアドヴェンチャーに挑戦。こちらも軽くクリアして、スプラッシュマウンテンへ・・・。さすがにこちらは怖かったとみえて、再チャレンジはしなかったものの、克希君、壮君、広大君、康佑君、綾美ちゃんは2回目も乗っていた。多貴ちゃん、琴麻ちゃんも絶叫系に開眼した様子。

 

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今日は一日中保護者の方中心に動いていただき、近藤先生がみんなの分のファーストパスを取りに園内を走り回ってくれた。伊藤英治は恥ずかしながら体調が優れず、乗り物もそこそこにホテルに直帰・・・。残った人たちは午後8時の閉園までディズニーランドを楽しんでくる予定。昨日お土産を先に買っておいただけに、時間いっぱい遊んでくることができるだろう。

いよいよ明日はロサンゼルス空港を出発し、日本に向けて帰国する。それぞれたくさんの思い出を胸に帰国の途につく。みんな手荷物の中には奉納歌舞伎の台本を入れている。帰りの飛行機は歌舞伎のせりふ覚えの時間になるだろう。

アメリカ訪問 概要  NO2

1月19日~22日(アメリカ)

第8回草の根国際交流 青い目の人形アメリカ訪問使節団 記念誌より

英治先生のアメリカからのメール記事を中心に編集

 

1月19日 【アメリカ】

ホームステイ先から子ども達は登校した。子ども達の表情を見るとまだ固さが見えるが、ホームステイ初日をなんとか乗り切った様子だった。今日は9時から11時までホームステイ先の子どもと一緒にウィンザー小学校で授業を受けた。算数、図工など楽しみながら田峯の子も取り組んでいた。

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その後シカゴ総領事に向けてバスで出発。このときに谷高座の人たちと合流した。久しぶりに見る顔にほっとする。また、佐藤昌三先生も平松さんとともにウィンザー小に来てくれた。子ども達1人ひとりに声をかけ、「車引きでどの役をやるの?」と聞いてくれた。子ども達には佐藤先生が歌舞伎を翻訳してくれることを伝えてはいたが、いまいち名前と顔が一致しない様子だった。

シカゴ総領事はシカゴの北側、エバンストンにありウィンザー小から1時間弱のところにある。総領事に着くと、岡村総領事が歓迎の言葉を言ってくれた。田峯の歌舞伎について触れ、長く続いた伝統芸能をアメリカの地で見せてくれることに誇りを持っていると子ども達に伝えてくれた。

その後昼食会を開いてくれた。久しぶりの日本食にみんなも喜んでいた。児童代表として児童会長の田村壮君がお礼と歌舞伎、学校交流、ホームステイを頑張ることを約束した。

シカゴ総領事からウィインザー小に帰校後、各ホームステイ先へと子ども達は向かっていった。昨日のような不安げな表情は見られず、笑顔で学校を後にした。

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1月20日 【アメリカ】

今朝は曇り空。寒いには寒いが、昨日ほどの冷え込みではなかった。しかし、午前中から雪が降り出し、夜には10センチ以上の雪が積もった。歌舞伎1回目に雪が降るのも、日本から田峯観音様が喜んでいるのが伝わっているのだと勝手に解釈。

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今日もみんな元気にウィンザー小学校に集まってきた。ホームステイ先でもうまくやっている様子。昨日は遅くまでゲームをしていた家もあったようだ。子どもよりも大人の方が時差ぼけがひどいようだ。といっても女性陣はぐっすり眠れたとのこと。真夜中に目が覚めるのは男性陣。女性の方が肝がすわっていて、男性は繊細だということで・・・。

今日は2回目の学校間交流の日だった。午前中、幼稚園から2年生までの6クラスに日本の伝統的な遊びを紹介していった。また、この日は佐藤昌三先生の習字の授業もあった。(それに田峯の子は参加せず)前回よりも説明の仕方を改善したので、みんな日本の遊びを楽しむことができた。紙風船や万華鏡なども小さい子ども達には楽しいようだった。今回感じたのは、遊び方の説明が難しすぎた。田峯の子ども達は一生

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懸命覚えて言えるようにしたが、もとの原稿を考えているのが大人なので、幼稚園や低学年には難しい。それよりも実際に見せてやった方が素直に感動してくれる。そして説明よりも大切なのは、その後にアメリカの子にどれだけ積極的に関わって教えることができるかだと思う。今日の子ども達の様子を見ていて「言葉の壁」よりも「心の壁」だと感じた。

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第1回目の歌舞伎はサウス中学校で行った。久しぶりの歌舞伎で、緊張気味だった。佐藤

昌三先生のナレーターに合わせて、練習の成果を出すことができた。特に子ども達は、緊張

の微塵も感じさせない堂々とした演技だった。会場に声が響き渡っていたし、所作も綺麗にできていた。アメリカの子も仕丁として4人参加。物覚えの良い子たちで、数回の練習ですぐに所作もできるようになった。会場の人たちは「素晴らしかった!」と絶賛してくれた。車引きの準備が遅れてしまい、吉野山野後にすぐ見せることができなかった。そのできた合間を使って昌三先生が歌舞伎のせりふや所作についてのミニ講演を開いてくれた。うちのホストファミリーはそれを聴いて、車引きがよくわかったといっていた。7時に開演したが、ウィインザー小副校長(ジニー)、サウス中学校校長、アーリントンハイツ教育長、田峯小学校校長、シカゴ総領事岡村氏の挨拶で30分以上かかった。吉野山が終わったのが8時過ぎで、車引きが始まったのが8時40分頃だった。従って全てが終了したときには10時くらいになっていた。子ども達は一緒に見てくれたホームステイ先の人と帰っていった。今日はみんな疲れた様子だったので、早く寝ることだろう。

明日はホームステイ先の人と別れて、シャンぺーンへ移動する。シャンぺーンまではバスで3時間ほどとのこと。ちょっとした小旅行だ。イリノイ大のクラナートセンターはとても大きなホールで立派だと聞いた。今日できなかったことを考え、もう一度気持ちを引き締めなおして次の歌舞伎につなげていきたい。

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1月21日 【アメリカ】

 

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訪米便りを見ていただいている人にお詫びしたいのが、更新が不定期になってしまっていることです。日本から持っていったパソコンをホテル、学校、ホームステイ先とさまざまな場所でインターネット接続していますが、うまく接続できる場合とそうでない場合があり、不定期となっています。今後も更新が遅れたりすることもあると思いますが、よろしくお願いします。

さて、今日はホームステイ先の人と過ごす最後の時間だった。お昼の12時にウィンザー小学校に集まってきた。消防署の見学に行った子どもたちもいた。ホストファミリーごとに思い思いの過ごし方をした。この頃にはみんな英語にも慣れ、ずいぶん聞き取れたり、話したりできるようになってきた。ウィンザー小学校から、この3日間の様子を撮った写真集がプレゼントされた。ホームステイ先の人からの手紙なども着いており、活動の様子がよく分かるものになっている。日本人側からもお礼の意味をこめて子どもたちが一人一言ずつ感想を言った。もちろん日本語だったが、私の下手な通訳でも気持ちは相手に伝わったと思う。

学校から離れていくバスを、ウィンザー小学校の前でずっと手を振り続けていてくれた。3日間、本当にありがとうございました。

ホストファミリーとの別れをし、一行は一路イリノイ大学のあるシャンペーンを目指した。ハイウェイを使って3時間、どこまでも続く平らな土地で、まるで北海道を思わせる農場が広がっている。山は見えず、360度地平線が続いている。シャンペーンはものすごく大きな街で、街の中に大学があるのではなく、街全体が大学といった感覚の場所である。

clip_image042街の中には飛行場や発電所まである。バスの中で昌三先生が子どもたちに街の様子を説明してくれた。「二度と目にすることはないかもしれないから、しっかりと見ておくように」とお話があった。

谷高座の人たちがクラナートセンターで準備をしている間、子どもたちは大学内の日本館という場所に見学に行った。昌三先生やほかの教授の人たちの努力によって建てられた建物で、和風のつくりになっている。日本館に入るとお茶をたててくれた。お茶をたててくれたのが、着物を着たアメリカ人男性だった。ホームステイ先の人のように解放的なアメリカ人もいれば、この男性のように繊細な感覚を持つアメリカ人もいて、いろいろな性格の人がいるんだなと改めて思った。

この日の夕食は日本食の店「鎌倉」へ行った。鉄板焼きの店で、店員さんが目の前でパフォーマンスをしながらお肉やエビ、野菜、チャーハンを焼いてくれた。目の前に上がる火柱に思わず子どもたちも「おーっ!」と歓声を上げていた。食べきれないほどの夕食後、ホテルに到着。明日はいよいよクラナートセンターでの歌舞伎公演である。訪米最後の公演でもある。サウス中学校とは逆の順番で車引き、吉野山を15:00より上演する。子どもの後のほうが緊張すると谷高座の人が言っていた。クラナートセンターはアメリカの中でも有名なホールのようで、500~600人くらいの観客は収容できるようである。まだ子どもたちはホールの様子を見ていないが、谷高座の人たちは「とにかくすごい!」と絶賛していた。明日はいよいよ、訪米の目的の最後の日。みんなで楽しくアナハイムに行けるようにがんばって来たい。

1月22日 【アメリカ】

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  シカゴ、シャンペーンは冷たく強い風が朝から吹いていた。朝食後、いよいよクラナートセンターへ向かった。しっかりとした楽屋が完備されており、会場自体もとても大きく1000人以上収容できるそうだ。11時頃からリハーサルを始める。たち位置や音響のバランスを確かめる。声が響く会場のため、いつも以上に声が出ている感じがする。それが気持ちよくて広大君や康佑君はさらに声が大きくなる。しかし、壮君のせりふや所作にキレがなく、体調が悪いのかとみんな心配する。本人は大丈夫だとのこと。支度部屋で昼食を食べ、いよいよ本番へ。

3時に開演。佐藤昌三先生の話の後、日本から持っていったお土産をすでに桜丸、松王丸になった壮君と克希君がイリノイ大学と日本館の代表者の人に手渡した。さあ、いよいよ本番。観客は300人以上。練習で心配した壮君もいつものように落ち着きを取り戻し、本当に今迄で一番よい車引きを披露することができた。上演後の一人ひとりの挨拶もお客さんにしっかりと伝わり、拍手喝采を受けた。子どもの出来がよかっただけにプレッシャーのかかる吉野山だったが、こちらも

逸樹君、希世美先生のきれいな所作に加え、利一さんの藤太率いる花四天もうけていた。

大成功のクラナートセンター公演でした。子どもたちのがんばっている姿を舞台袖から見て目頭の熱くなる思いでした。シャンペーン~シカゴの3時間のバスの中ではみんな爆睡(爆酔?)でした。これで訪米の大きな目的はすべて果たしたことになります。子どもたちもアメリカにずいぶん慣れて来ました。「ありがとう」の一言がすっと出たり、マナーを意識したりと日本にいるときとまた変化が見られました。さて、明日は谷高座は帰国、本団はアナハイムに向かって出発です。本当の冬休みをエンジョイして来たいと思います。

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アメリカ訪問 概要 NO1

  1月17日(日本)、1月17日・18日(アメリカ)

第8回草の根国際交流 青い目の人形アメリカ訪問使節団 記念誌より

英治先生のアメリカからのメール記事を中心に編集

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初日は移動に1日を使う。

clip_image005 出発の田峯は雪。今回も観音様が8回目の訪米を喜んでくれているようだ。

セントレアまでは豊川から高速に乗る予定だったが、豊川~音羽蒲郡間が事故で5キロ渋滞との表示があり、急遽音羽蒲郡から高速に乗ることにした。途中、美合のパーキングエリアでトイレ休憩をした。高速は順調だったが、知多半島道路への連結でETCがうまく作動せずまたもや渋滞。結局セントレアに着いたのは7:10だった。

clip_image007行きの飛行機は体調管理が大切だと考え、保護者と子どもの席を近づけることにした。一緒にチェックインすれば近くの席になる。セントレア~成田間だけでなく、成田~シカゴ間もこのときに近くなる。スケジュール表を見ると時間的に乗り継ぎなど時間に余裕がありそうだが、実際のところは検査や審査で時間をとられ、トイレに行く時間もあまりとれなかった。

成田空港に着くとキャビンアテンダントさんが子ども達に「頑張ってきてください」と声をかけてくれた。また、機長が「足りないかもしれないけれど・・・」といってJALのシールを一人2枚ずつくれた。

自分たちの知らないところで、田峯の訪米を後押ししてくれる人がいることに驚きと感謝の気持ちになる。

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clip_image014 成田からのフライトは10時間53分だった。前回のように体調を崩したという子はいなかったが、やはり寝られない子が多く、シカゴに着いてから急激な眠気に襲われていた。

8時ころオヘア空港に着いたが、入国審査で行列ができており、結局入国が完了したのは10時近くになってからだった。1人ひとり入国審査をしたので、子ども達も実際にアメリカ人に話しかけられていた。克希くんが最初だったが、途中笑顔も見え、順調に通過した。後で聞いたら、「イングリッシュOK?」と聞かれ、「No」と答えたら、後は日本語で話してくれたとのことだった。

空港には平松さんが待っていてくれた。空港からバスに乗り込みシカゴ市内観光をした。

はじめにアドラー天文台に行った。といclip_image018っても施設の中にはいるのではなく、施設の外で記念写真を撮った。背景にはミシガン湖とシカゴの高層ビル群。この日は小雨から雪に変わり、風の強い寒い日だった。木曜日には最低気温-15度の予想。

次にシカゴ美術館に行った。

平松さんの計らいでスーさん(過去に田峯の訪米に関わっ

てくれた人)も出迎え挨拶してくれた。時間が余り無かったので、案内されるがままに見て回った。聖子先生が朝礼で話してくれたスーラの絵も鑑賞した。

昼食はシカゴのハードロックカフェ。チーズバーガー、チキンサンド、ポークサンドからすきなものを選んだ。ウェイトレスのお姉ちゃんは恰幅がよく緑に髪を染めていた。とても人なつっこい。グラスが空になっていれば、すぐにおかわりがいるかと聞いてくる。しかし、

ハンバーガーの大きさ、フレンチフライの多さにお腹ぱんぱんだった。

昼食後はウィリスタワー(シアーズタワー)に登った。今回は最上階の103回に行くことができた。3つのエレベーターを乗りついだ。103回にはスカイデッキシカゴという場所があり、床を含めて透明のガラスで作られた展望台を見た。その場に立つだけでも怖いが、横たわっている人もいた。

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帰りのホテルのまでは寝ている子が多かった。琴麻ちゃん爆睡!ホテルについてもなかなか起きず。私も不覚にもよだれを垂らしながら寝てしまった。

時差ぼけはあるものの、体調には心配なさそうなのでホテルでは子ども達同士で泊まることにした。夜はしっかりと寝て、明日は朝から張り切って活動できるようにしていきたい。

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朝の様子を見ると、女子はほとんど時差ぼけが直っている様子。男子は早く寝た子もいれば、なかなか寝付けなかった子もいて、時差ぼけが直っていない子もいた。体調はみんな良かった。飛行機の中では十分寝られなかったので、ベッドの上で横になって寝られることのありがたさを実感した。

今日のメインイベントは学校交流とホームステイである。

ホテルからウィンザー小学校へバスで移動(30分弱)。

9:30から全体交流①(幼稚園~2年生)

10:10から全体交流②(3年生~5年生)を行った。

はじめに、ウィンザー小の5年生が歌を歌ってくれた。日本のようclip_image037にみんな同じ姿勢で歌うのではなく、自由にそれぞれがリズムに乗って歌っていた。次に田峯小の子ども達が、自己紹介、設楽町・歌舞伎の紹介、リコーダー演奏を披露した。広大君が自己紹介でレゴが好きだというと、小さい子達はとても喜んでいた。アメリカの子どももレゴがすきなんだということが伝わってきた。リコーダー演奏では「風の丘」「ユアソング」は順調に発表することができた。「上を向いて歩こう」

を手拍子のみで演奏したが、たくさんの子どもたちが手拍子をするのでリズムがばらばらになって正直子ども達は演奏しづらかった。「日本の四季」は、映像にアメリclip_image042カの子どもたちはすごく反応していた。特に、富士山やお城、花火の写真で反応が多かった。渡辺校長も英語でグレースのことや訪米について話をした。また、お土産の羽子板をプレゼントした。スヌーピー(ピーナッツ)のキャラクターの付いた羽子板を子どもたちはよくみていた。

その後、副校長のジニーに連れられて、みんなで学校の中を見て回った。見学後、子どもたちは外へ行ってアメリカの子どもたちと一緒に遊んだ。今回はエイミー・ピンスキーのクラスの生徒(4年生)がずっと付きっ切りでみてくれたので、子どもたちもすぐに遊びの輪に入ることができた。綾美ちゃんは1人で多くの子に囲まれて遊具で一緒に遊んでいた。残りの子達はサッカーをしていた。サッカーは途中からフットボールに変わっていった。遊び終わったらランチを食べた。clip_image060

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clip_image058ランチの選び方はアメリカの子が教えてくれた。壮くんはみんなと同じ席に座れず(席がいっぱいで)一人で食べていた。しかし、何人かのアメリカの子も一緒に食べてくれた。

ランチの後は各教室に行って、日本の伝統的な遊びの仕方を教えた。折り紙は人気があり、日本から持っていった新聞紙を使ってかぶとを作った。日本の新聞に興味を示している子が多くいた。幼稚園のクラスもあるので、アメリカの子どもたちに言葉だけで教えるのは難しい。手のあいた人は一緒になってかぶとの折り方を教えた。

アメリカの子どもたちは出来上がったかぶとを頭にかぶり、とてもうれしそうだった。今回の交流では、こま・剣玉・折り紙・めんこ・だるま落とし・福笑いを紹介している。保護者の方も積極的に遊びの紹介に参加してくれ、実際にどのように遊ぶか見せてくれた。

clip_image066この日は2グループがそれぞれ3クラスに行って教えたので、計6クラスを回った。教えるということはとても難しいことだと子どもたちは実感した。その証拠に3回目のクラスでは相当疲れていた。日本語の通じない子どもたちに英語を使って教えようとするのだから当然である。しかし、こういう経験は田峯の子どもたちにとって大切な経験だと思う。家族のように一緒にいる友達とは気心が知れているために、ついコミュニケーションのとり方が雑になってしまうと思う。「相手もわかっているもの」を前提にしているからだ。でも、この交流では相手はまったく何も知らないところからスタートするので、相手の様子を伺いながら。相手に伝わるように丁寧に教えようとする。

clip_image068もうひとつ子どもたちが学んだのは、気持ちをすぐに言葉や表情に表すことである。アメリカは「サンキュー」をよく使う国である。そういう言葉が習慣化していない日本人は、思ったことや感じたことをすぐに言葉にするのが上手ではないと思う。アメリカの子に「サンキュー」と言われても「ユーアーウェルカム」の一言がはじめのうちはすっと出てこなかった。緊張しているせいもあって表情も固かった。しかし、この日の終わりころには表情も緩やかになって、笑顔で応える様子も見られるようになった。これは田峯の子達にとって大きな進歩だと思う。

さて、今日からホームステイも始まった。ホームステイ先の人と一緒に学校を出るときは、子どもたちも不安そうな表情を浮かべていた。明日の朝、どんな表情で学校へ来るか楽しみである。ちなみに渡辺校長と英治は、幼稚園の先生エイミーの家にホームステイしている。2人とも一生懸命は会話しようと試みるが、どれくらい伝わっているだろうか。頭の中で伝えたい日本語を英語に翻訳するが、言いたいことをそのまま翻訳することができない。ちょっとした事ほど英語にするのは難しい。特に今の自分の気持ちを言葉にするのが難しいと感じた。夕食は宏樹さん・裕也さんのホームステイ先の人と一緒にスパゲティディナーだった。アメリカ人同士の話になると、会話のスピードが速いのと単語が難しいので聞き取れなかった。私たちも気を使って疲れているが、ホームステイ先の人も同じだろう。とりあえず、ホームステイ先の2匹の犬は遊んでくれる相手を見つけて歓迎してくれた。

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明日は、シカゴ総領事公邸へ行く。

峯っ子だより 3月号

旅立ちの時

校長 渡辺俊也

この冬の寒さは、“久しぶり”の厳しい寒さでした。それも、3月になってもなかなか暖かくならず、フキノトウが顔を出すのも例年より遅いようでした。そのなかで、ようやく田峯にも梅の花が見られるようになってきました。

春の訪れを感じられるこの時に、田峯小学校から2人の卒業生が巣立っていきます。2人は、5年生の時から田峯小学校のリーダーとして活躍してくれました。年下の子たちの面倒をよく見てくれました。それを感じた子ども達は2人のことをとても頼りにすると共に慕っていました。その頼りにされ慕われている2人も、周りの子どもたちや先生、家族・地域の方、さまざまな関わりをもった人に育てられて、成長してきました。

梅の花が咲き、日差しが穏やかになり、やわらかな日差しが私たちを包み始めたこの時に、巣立っていきます。そして、桜の花が咲き木々が緑をまとい始め、鳥たちが高らかに本格的な春の訪れを告げる時に、2人は中学校の門をくぐり新しい世界に旅立ちます。clip_image004

日本の四季は、世界の中でも特にはっきりしていると聞いたことがあります。その四季を、日本人は自分たちの暮らしの中に取り入れています。ずっと昔から“日本人”の中に染み込んでいるのだと思います。明治になって学制が始まった時、学校の1年間を4月に始め3月で締めくくるようにしたのではないかと、勝手に考えてしまうのは私だけでしょうか。

今年の1月に、第8回のアメリカ訪問を行いました。私にとっては、初めてのアメリカ、初めてのホームステイ、初めての英語だらけの日々・・・・。とても新鮮で楽しくそして大変な経験でした。その中で、そして日本に帰ってから強く感じたのは、日本の暮らしのすばらしさ、日本人の思いの柔らかさでした。挙げていけばきりがないのですが、その一つが、「梅の花が咲くころに巣立ち、桜の花に迎えられ新たな生活に旅立つこと。」です。このことは、卒業する二人だけに当てはまることではなく、今の学年を終え進級する子どもたちにも、私たち職員にも、学校だけでなく日本の多くの人たちが、気持ちを締めくくり新たな気構えを持って一歩を踏み出していくことと結びついていると言えます。

田峯小学校の2人の卒業生が、それぞれの家庭で慈しみ育てられ、田峯小学校で多くの経験をし、田峯という土地で育ったことを自覚して、自信を持って新しい一歩を踏み出していくことを願います。

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このことを書いていて、ふと、「冬来たりなば 春遠からじ」という言葉が浮かんできました。でも調べて見ると、この言葉はイギリスの詩人が書いた詩の最後の一句を日本語に訳したものであるということが分かりました。全部の詩を読んだわけではないので、はっきりはしませんが、私が思ったのとはちょっと意味が違うような気がします。でも、この言葉が日本の中で生きているということは、私たちにも共感できる意味があるということでしょうか。洋の東西を問わず同じ思いを抱く人たちが世界中にたくさんいる、ということを感じました。

If winter comes, can spring be far behind ?

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「田峯」での1年

近 藤 誠

先日、親戚の法事に行った時のことです。連日のように報道されたアメリカ訪問のことに関心をもってくれていたのでしょう。

「マコちゃ(この歳になってもまだこう呼ばれている)、新聞見たよ。田峯って凄い所だね。少ない人数であんなことをやっちゃうんだから。」

「でも、伝統を絶やさないようにしていくってことはほんとに大変だよね。」

(その通りなんですよ。だから田峯の人たちは…)と言いかけてやめました。田峯小に来る前までは自分も同じようなことを思っていましたから、田峯のくらしに1年ばかり触れただけでわかったようにいうのも憚られ、

「まあ、観音様のお参りや歌舞伎を観にきておくれん。」

と話の向きを変えました。

ところで、最近、ネットを見ていて「なぜ子縁社会が求められるか」という本が目に止まりました。サブタイトルには「絶縁社会」「子育て危機」といった言葉が並んでいます。「子縁社会」という言葉に魅かれて本の紹介を読んでみると、著者のあとがきに、こんなことが書かれていました。現代文明が直面する危機として、①核、②地球環境破壊、③生殖破壊といった問題が取りざたされているが、第4の危機として憂慮すべきことが、「社会の絶縁化=人間関係破壊」であるというのです。例えば、大震災で当り前のはずの生活が奪われた時、被災地では避難した人々が互いに助け合い、国内外からも多くの救援の手が差し伸べられるなど、危急存亡の事態になれば人々は助け合おうとする。しかし、問題は、平常時にどうであるかと著者は問題提起しています。とりわけ日本では、他人に無関心で、隣に住んでいる人とも付き合わず、あいさつもしないという社会の絶縁化が当たり前になりつつあり、その結果が「孤独死」や「集落の崩壊」、また「虐待・不登校・いじめ」といった子育て・教育問題の根となっている。だから、共助の社会をよりよくつくっていくためにも、地域の様々な人々・団体がこぞって子育てに協力する「子縁社会」をめざしていくことが大切だというわけです。一通り読んで、著者の主張と、この一年「田峯」で感じてきたことが重なって思えました。

clip_image010休みに学校へ来ると、毎週のように田峯のみなさんが集まり、さまざまな地域行事や作業に取り組んでいる姿に出くわします。また、アメリカ訪問や子供歌舞伎をとおして、子どもたちが地域ぐるみで支えられ育てられていることも実感しました。ことはそう単純ではないかもしれませんが、人と人のつながりの「濃さ」を何よりも大切に思う限り、「絶縁社会」などという心配とは無縁でいられるのかもしれません。

田峯小学校も、こうした地域力の一つとしての役割を担っていると感じます。

峯っ子だより  2月号

国が違えば、急須も・・・

5,6年担任 伊藤英治

さて、1月17日から第8回目のアメリカ訪問がありました。前回の第7回と合わせ2回もアメリカ訪問に行かせていただきました。2回目ともなると精神的にも多少余裕が生まれてきます。今回も時差ぼけには苦労しましたが、料理をおいしく食べられたのはきっとそのせいだと思います。おかげで帰国のときには、お土産のたくさん入ったスーツケース同様、私の体も重たくなっていましたが・・・。

さて、ホームステイ先での出来事です。校長先生と私はウィンザー小学校の幼稚園の先生をしているエイミーの家にホームステイさせてもらいました。いろいろともてなしてくれるエイミーに、ぜひ、日本式のもてなしをということでお茶(日本茶)を入れることになりました。お茶の葉は校長先生が日本から持っていってくれましたが、肝心の急須が見当たりません。ショッピングモールに連れて行ってもらったときに急須を探しましたが、あることはあったのですがエイミーと旦那さんの2人用としてはちょっと大きすぎて買わずに終わりました。しばらくしてエイミーのもとへ電話があり、友達がティーポット(急須)を持っているとの情報が・・・。これで万事ととのったと思ったところに届いたのがこの急須でした。(写真参照)さすがアメリカ、茶漉しの網が付いていない。でも、何とかなるだろうと中をのぞいてみると・・・?んんっ?果たしてこれでお茶が入れられるのだろうか?と悩んでしまいました。お茶の葉をのせるのはきっと網目の部分だろうと予想できます。でも、お茶っぱを入れても、そこまで湯がこなければお茶は出ません。(図①参照)逆にお湯を入れ過ぎたら、間違いなくお茶っぱは急須の中に入ってしまい、そのまま出てきてしまいます。(図②参照)エイミーに「他の部品はなかったの?」と聞いても、「渡されたのはこれだけだけど・・・」との返事。うーん、しばらく急須とにらめっこ。いろいろな角度から眺めてみたり、中をのぞいたりしていました。エイミーもちょっとあきらめ顔になっていたとき、ある部分に気がつきました。それは急須のお尻のほうにある出っ張り部分です。「何でこんなところが出っ張っているのだろうか、おおっ!これを使えば急須を傾けることができる」ということに気がつきました。急須を傾けることによって、お茶っぱをお湯で蒸らしながら、元に戻すとお茶っぱは上の網目の部分に残って出てこないという仕組みになっていました。(図③参照)この仕組みがわかったときには正直感動しました。急須を傾けるなどという発想は日本にはないものです。(私が知らなかっただけかもしれませんが)急須を洗うときにいつも大変なのが茶漉しの網目に残るお茶っぱです。でも、この急須なら水洗いだけでもお茶っぱを一気に取ることができます。うーん、さすがアメリカ、合理的!と妙に納得しながら、日本のお茶でティーブレイクをしました。

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発想を変えなくてはと感じたのは、英語での会話も同じです。会話の中で、頭に思い浮かんだ文をそのまま英語にしようとすると、必ず英語に訳せない単語が出てきます。日ごろ自分達が使っている日本語の中に意外と難しい単語を使っていることに気づきました。(英単語をたくさん知っていれば問題ないと思いますが)まず、頭の中に思い浮かんだ日本語文を、次に自分の知っている英単語で言えるような文章に変換します。そしてようやく英語に翻訳・・・、という流れで頭の中はフル回転していました。思ったことをそのまま言葉にしようとすると、それが訳しきれなくてなにも出てこなくなることもしばしばありました。日本に帰ってきて、改めて気持ちが伝えられることのよさを感じました。また、英語を聞きとる耳についても感じることがありました。それは、気持ちの問題です。特にアメリカに来て最初の時は緊張しているので、相手が英語で話しかけてくると、何か難しいことを言っているのでは!?と身構えてしまいます。それが、英語を聞きとる時の障害になったと思います。立場を逆転し、日本に来た外国人に何を話そうと思うでしょうか?いきなり難しい込み入った内容の話などはしないはずです。「同じ人間なんだ」と大きく考えれば、気持ちも楽になって、聞き取る耳も澄んでくるのかもしれません。

私もアメリカでの思い出を自分から作ってみようと考えました。イリノイ大学クラナートセンターでのこと。私は歌舞伎の浄瑠璃を流す役でした。クラナートセンター専属の音響係、ブラッドと音の大きさやスピーカーの位置などいろいろと相談しました。ブラッドはまだ若く、おとなしいアメリカ人でしたが、こちらの要望にこたえようといろいろと動いてくれました。私は小心者で積極的に動く方ではないのですが、「もう2度と彼と会うことはないだろう」と考えると、何か思い出になることを残しておきたいと思いました。私が紙とペンを渡し、「名前をここに書いてくれ」というと、Brad Chapinと書いてくれました。これも一つの思い出に残るだろうと大切に日本に持ち帰ってきました。歌舞伎終了後、ブラッドに感謝の気持ちを伝えに行くと、ブラッドも紙とペンを持ってきて、「ここに名前を書いてくれ」と私に差し出しました。私もそこにサインをしてから、一緒に写真を撮ってくれるように頼むと、彼も快く引き受けてくれました。訪米記念誌には載りませんが、個人レベルでの交流が少しはできたのではないかと思います。

ただ、一つ心残りなのは自分のサインを書くときにローマ字で書いてしまったことです。「漢字」という日本人の心を忘れ、アメリカに迎合してしまったかなと自らの小心ぶりを反省しています。

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田峯観音奉納歌舞伎

熊 谷 多 英

clip_image010今年は日曜日と重なり、また連日の新聞掲載によって、大勢の方々に足を運んでいただき大盛況で幕を閉じた歌舞伎。

毎年ながら、皆様たいへんたいへんお疲れ様でした。

「よろこんでくれたかなあ?」(穂澄)

「誰が?」(私)

「かんのんさま」(穂澄)

「なんで?」(私)

「だって、ほうのうかぶきでしょ」(穂澄)

そうでした!! 観音様への奉納歌舞伎です。

助けて頂いたお礼に、歌舞伎をやって見てもらうのです。もう何百年も続く、感謝の気持ちをこめて・・・

毎年新しい年を迎えると、今年は何をやるのかな? どんな役をもらうかな? セリフは、所作は覚えられるかな? 練習が続く、カゼをひかせないようにしないと・・・。

心配と憂うつとで気持ちがいっぱいになってしまいます。

そんな気持ちのせいか、子供たちのセリフの練習は家では険悪な空気の中はじまり、そのうち私の前では練習をしません。ついつい厳しく口を出してしまう私に「じゃあ母ちゃん、やってみりん」と何度言われたでしょう。

それでも上達していく様子は日ごとに分かります。

初日から台本なしで稽古が進められた1・2・3・年生。帰国翌日から稽古が始まった4・5・6年生。覚えの早さはさすがです。

師匠さんのご指導はもちろんですが、冬休み第2弾中から自主練をしてくださった聖子先生、アメリカ訪問で忙しかった希世美先生、おととし五人男をやった5・6年生のアドバイス。練習を見た方々のお褒めの言葉とアドバイス。どれもこれもが上達のヒントとなり、自信となったことでしょう。

私が教えることのできない事を教えてくださる人達が近くにいて、教えていただけることは、とてもありがたいことです。

私が気付かないうちに、いろいろなことを得ている子供の姿・様子にはいつも驚かされます。ありがとうございます。

「頑張ったね」「上手だったよ」「とってもカッコ良かったよ」

終わったあと大勢の方に声を掛けていただきました。子供たちの嬉しそうな、満足気な笑顔はとても誇らしかったです。

きっと来年も一所懸命に、いくつもの感謝の思いをもって奉納歌舞伎を見せてくれるでしょう。

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峯っ子だより 1月号

第8回アメリカ訪問に参加して

PTA副会長 竹下裕也

今回のアメリカ訪問でたくさんの思い出ができました。

ウインザー小学校では、田峯小の子供達が日本の遊びであるコマ、メンコ、折り紙などをアメリカの子供達に教えていました。僕が小学生の頃にこうした遊びを楽しくやっていたことを思いだしました。

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ホームステイ先の家族 子ども達の授業風景

 

田峯小の子供達は、英語で自分の担当する遊びの説明をしていました。

ホームステイでは、ホストファミリーに温かく迎えていただき感謝しています。特に、歓迎パーティーを開いていただき、家族の方々と本当に触れ合えたと思います。三日間、ホストファミリーに本当にお世話になり、よい思い出ができました。

clip_image003歌舞伎公演では、子供、大人ともに盛大に公演できました。11月からの練習の成果が発揮できたと思います。

最後になりましたが、アメリカ訪問ができたのも数多くの皆様のご協力があったからです。ほんとうにありがとうございました。

第9回のアメリカ訪問が盛大にできることを願ってやみません。

 

“グレースの里帰り”を報告する校長と佐藤先生

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“1月22日”は何の日

山本 えり子

clip_image009・・・東京都内の老舗ジャズクラブ「バートランド」、「サテンドール」、「オールオブミークラブ」のオーナーらによる「JAZZ DAY実行委員会」が2001年(平成13)から実施。「JAZZの“JA”がJanuary(1月)の先頭2文字であり、“ZZ”が“22”に似ていることから、ジャズのファン層の裾野を広げるために、ライブコンサート等さまざまなPR活動が行われている(PCより引用)・・・

と云うわけで、“ジャズの日”です

なんて!!!カッコイイ!!

一口にjazzといっても、フュージョン/フリー/モダン/スウィング…10種類以上。

その中でも私のお気に入りの3曲を挙げるなら、1曲目は、「Take the‘A’Train」。

小学校のマラソン練習で流れている曲です。

2曲目は、「Take Five」

piano*alto sax*Bass*drums…。演奏を目の前で聴いたらきっと倒れてしまいそうです₍汗₎

忘れてはいけないのが、JIMMY SMITHの名曲「Moanin」。思わずのめり込んでしまいますね♪♪♪

ジャズはノリの良さ。バラードもあり、Jazz piano(ソロ)は魅力大!即興でアドリブ演奏を聴くと

鳥肌立ちます! いつか、ブルーノに行って、生Live聴いてみたいです。

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