峯っ子だより 3月号

旅立ちの時

校長 渡辺俊也

この冬の寒さは、“久しぶり”の厳しい寒さでした。それも、3月になってもなかなか暖かくならず、フキノトウが顔を出すのも例年より遅いようでした。そのなかで、ようやく田峯にも梅の花が見られるようになってきました。

春の訪れを感じられるこの時に、田峯小学校から2人の卒業生が巣立っていきます。2人は、5年生の時から田峯小学校のリーダーとして活躍してくれました。年下の子たちの面倒をよく見てくれました。それを感じた子ども達は2人のことをとても頼りにすると共に慕っていました。その頼りにされ慕われている2人も、周りの子どもたちや先生、家族・地域の方、さまざまな関わりをもった人に育てられて、成長してきました。

梅の花が咲き、日差しが穏やかになり、やわらかな日差しが私たちを包み始めたこの時に、巣立っていきます。そして、桜の花が咲き木々が緑をまとい始め、鳥たちが高らかに本格的な春の訪れを告げる時に、2人は中学校の門をくぐり新しい世界に旅立ちます。clip_image004

日本の四季は、世界の中でも特にはっきりしていると聞いたことがあります。その四季を、日本人は自分たちの暮らしの中に取り入れています。ずっと昔から“日本人”の中に染み込んでいるのだと思います。明治になって学制が始まった時、学校の1年間を4月に始め3月で締めくくるようにしたのではないかと、勝手に考えてしまうのは私だけでしょうか。

今年の1月に、第8回のアメリカ訪問を行いました。私にとっては、初めてのアメリカ、初めてのホームステイ、初めての英語だらけの日々・・・・。とても新鮮で楽しくそして大変な経験でした。その中で、そして日本に帰ってから強く感じたのは、日本の暮らしのすばらしさ、日本人の思いの柔らかさでした。挙げていけばきりがないのですが、その一つが、「梅の花が咲くころに巣立ち、桜の花に迎えられ新たな生活に旅立つこと。」です。このことは、卒業する二人だけに当てはまることではなく、今の学年を終え進級する子どもたちにも、私たち職員にも、学校だけでなく日本の多くの人たちが、気持ちを締めくくり新たな気構えを持って一歩を踏み出していくことと結びついていると言えます。

田峯小学校の2人の卒業生が、それぞれの家庭で慈しみ育てられ、田峯小学校で多くの経験をし、田峯という土地で育ったことを自覚して、自信を持って新しい一歩を踏み出していくことを願います。

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このことを書いていて、ふと、「冬来たりなば 春遠からじ」という言葉が浮かんできました。でも調べて見ると、この言葉はイギリスの詩人が書いた詩の最後の一句を日本語に訳したものであるということが分かりました。全部の詩を読んだわけではないので、はっきりはしませんが、私が思ったのとはちょっと意味が違うような気がします。でも、この言葉が日本の中で生きているということは、私たちにも共感できる意味があるということでしょうか。洋の東西を問わず同じ思いを抱く人たちが世界中にたくさんいる、ということを感じました。

If winter comes, can spring be far behind ?

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「田峯」での1年

近 藤 誠

先日、親戚の法事に行った時のことです。連日のように報道されたアメリカ訪問のことに関心をもってくれていたのでしょう。

「マコちゃ(この歳になってもまだこう呼ばれている)、新聞見たよ。田峯って凄い所だね。少ない人数であんなことをやっちゃうんだから。」

「でも、伝統を絶やさないようにしていくってことはほんとに大変だよね。」

(その通りなんですよ。だから田峯の人たちは…)と言いかけてやめました。田峯小に来る前までは自分も同じようなことを思っていましたから、田峯のくらしに1年ばかり触れただけでわかったようにいうのも憚られ、

「まあ、観音様のお参りや歌舞伎を観にきておくれん。」

と話の向きを変えました。

ところで、最近、ネットを見ていて「なぜ子縁社会が求められるか」という本が目に止まりました。サブタイトルには「絶縁社会」「子育て危機」といった言葉が並んでいます。「子縁社会」という言葉に魅かれて本の紹介を読んでみると、著者のあとがきに、こんなことが書かれていました。現代文明が直面する危機として、①核、②地球環境破壊、③生殖破壊といった問題が取りざたされているが、第4の危機として憂慮すべきことが、「社会の絶縁化=人間関係破壊」であるというのです。例えば、大震災で当り前のはずの生活が奪われた時、被災地では避難した人々が互いに助け合い、国内外からも多くの救援の手が差し伸べられるなど、危急存亡の事態になれば人々は助け合おうとする。しかし、問題は、平常時にどうであるかと著者は問題提起しています。とりわけ日本では、他人に無関心で、隣に住んでいる人とも付き合わず、あいさつもしないという社会の絶縁化が当たり前になりつつあり、その結果が「孤独死」や「集落の崩壊」、また「虐待・不登校・いじめ」といった子育て・教育問題の根となっている。だから、共助の社会をよりよくつくっていくためにも、地域の様々な人々・団体がこぞって子育てに協力する「子縁社会」をめざしていくことが大切だというわけです。一通り読んで、著者の主張と、この一年「田峯」で感じてきたことが重なって思えました。

clip_image010休みに学校へ来ると、毎週のように田峯のみなさんが集まり、さまざまな地域行事や作業に取り組んでいる姿に出くわします。また、アメリカ訪問や子供歌舞伎をとおして、子どもたちが地域ぐるみで支えられ育てられていることも実感しました。ことはそう単純ではないかもしれませんが、人と人のつながりの「濃さ」を何よりも大切に思う限り、「絶縁社会」などという心配とは無縁でいられるのかもしれません。

田峯小学校も、こうした地域力の一つとしての役割を担っていると感じます。

2020年10月

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