峯っ子だより   3月号

門出の時

校長 渡辺俊也

平成25年度の卒業生は、小川多貴さん・山本実乃里さん・竹下裕唯さん・泉保琴麻さんの4人です。平成26年3月が、6年間の小学校生活を終えて中学校という新しい社会に旅立つ、門出の時となります。

この6年間に田峯小学校に起こったことを、少し振り返ってみます。

○平成20年度 (1年生)

clip_image002 4人の子どもたちが入学しました。多貴さん・裕唯さん・琴麻さんのご家庭は、初めての小学生誕生でした。(実乃里さんには、拓未君という明るいお兄さんが6年生にいました。)

この年は、第7回アメリカ訪問が行われる年で、アメリカ訪問を記事にする新聞社の方も入学式を取材に来校されました。その時の写真が、これです。

初めての小学校、茶摘みや牛糞作業など学校行事に参加していきました。アメリカ訪問に向けては、高学年が活動する中、2年生の綾美さん・広大君・康佑君の3人と一緒に賑やかな学級をつくっていました。

この年は子ども会も活躍の年で、わんぱく綱引き大会と卓球大会で優勝しました。

○平成21年度 (2年生)

台風の影響が大きく出た年でした。10月に予定されていた修学旅行が、12月に延期され実施されました。

この年の忘れてはいけないことが、田峯小学校耐震工事の開始です。1月から始まる工事に備えて、12月に校舎半分の引越作業をしました。1月から校舎西側だけで勉強をし、運動場も3分の2しか使えない状況でした。図書室が1・2年生の仮り教室となり、本に囲まれた毎日を過ごしました。

clip_image004 この年もわんぱく綱引きで優勝し、2連覇を果たしました。

○平成22年度 (3年生)

1月から行われていた校舎東側の耐震工事が、4月末に終わりました。それに伴って、校舎西側から東側への引っ越し作業を行いました。この引っ越しは前回の引っ越しの倍の量になったので、子どもたちも準備で大変でしたが、保護者の方や先生方もヘロヘロになりました。

西側の校舎の工事ということで、給食の運搬は、玄関の裏出口から校舎の裏側を通り清嶺荘の前を通過して給食室の入口に至るという、特設の通路が作られました。不便ではありましたが、なんとなく遊園地のアトラクションのような感じで子どもたちも楽しんでいたように思えました。(給食の運搬にはとても気を使いましたが・・・)

この工事の最中、西側の基礎ができた段階でみんなで記念の文字を書きました。

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7月には、講堂と理科棟の工事のために引越作業をし、8月の終わりには校舎西側の工事が終わったので、教室の引っ越し作業を行いました。おかげで9月から耐震工事を終え新しくなった教室で、各学級が勉強できるようになりました。

1月には講堂の工事が終わったので、またまた引っ越し(復旧)作業をしました。きれいになった講堂で給食を食べることができるようになり、1月20日からの歌舞伎の練習も、気持ちのいい板敷の講堂で出来るようになりました。(谷高座の方々が、床を傷つけないようにとすごく気を使ってくれました。)3月には、理科棟の工事も終わり、運動場も元の広さにもどり、1年3か月に及んだ耐震工事が終わりました。

○平成23年度 (4年生)

この年もいろいろありました。台風接近のため1学期の終業式ができなかったり、中村吉右衛門さんが来たり、町民音楽祭で初めてリコーダー演奏を披露したり、2月3日には気温―10.2度を記録し学校中の水道の蛇口が凍ったり、といろいろありました。そういえば、5月の牛糞肥料袋詰め作業で、半日で1,000袋を詰めるという記録を打ち立てました。

clip_image011 しかし何と言っても「第8回アメリカ訪問」が第一でしょう。初めてパスポートを取得しました。アメリカ訪問で公演する歌舞伎の練習が、11月21日から訪米の直前まで続けられました。アメリカ訪問では、ホームステイや学校交流でアメリカの子とたくさん(?)英語(?)で話をしました。アーリントンハイツでは雪が降り、サウスミドル中学校での公演が危ぶまれましたがなんとか公演をしました。また、過去7回の訪問の中で1回しか行ったことがないシャンペーンにバスで4時間かけて移動しました。イリノイ大学のクラナートセンターで歌舞伎公演をしたあと、クラナートセンターの探検をしました。ロビーでは、アメリカの人も声をかけてくれましたが、たくさんの日本の方が遠方から歌舞伎を見に来てくれ、「よかったよ」「すごいね」と誉めていただきました。

○平成24年度 (5年生)

12月10日に積雪が7cmありました。朝から雪だるまを作ったりして遊びました。1月には、佐藤昌三先生が田峯に1カ月滞在されました。その時に、習字や墨絵を習ったりアメリカのお話をたくさん聞いたりすることができましたclip_image013

2月の歌舞伎の時に、大事件が起きました。奉納歌舞伎の日の少し前からインフルエンザが流行り出し、当日はインフルエンザでない子が2~3人しかいない状態でした。みんなふらふらの体に気合を入れて見事に演じ切りました。この事情を知っている方々から、「みんなよく頑張ったね。」と声をかけられました。奉納歌舞伎後の13日~15日は、学校を閉めざるをえない状態でした。

この年の奉納歌舞伎は、卒業生4人が大きな役をもらい立派に演じ切った年でもありました。今から考えても、あの体の状態でよくできたなあとあらためて感心してしまいます。

○平成25年度 (6年生)

6年生になり、いろいろな場で中心となって動くことが多くなりました。みんなの前で話したり低学年の子に話しかけたりする様子を見ていると、とても優しいお姉さんが4人いるという感じです。

また、行事や作業の時でも先頭に立って行動することができました。春の牛糞肥料袋詰め作業では、半日で1,200袋を詰めました。その時も作業に当たった6年生は大活躍のことだったと思います。

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11月に行われた町民音楽会のリコーダー演奏は見事でした。思い返せば、6年生の子たちが4年生の時から始まったリコーダー演奏。町民音楽会での演奏やウィンザー小学校でも全校児童の前でも披露しました。その時、アメリカの小学校の子どもたちがとても驚いていたことを思い出しました。今年度は、新城で活動するリコーダー演奏グループの人たちの指導を受けたり演奏を聴いたりする機会があり、どんどん上達してきています。6年生の4人は、“リコーダー演奏”という田峯小の伝統の基礎を創ってくれたのではないでしょうか。

2月の奉納歌舞伎では、4人の卒業生たちが見事な演技を見せてくれました。初めての御姫様役だったり“あほう”を演じたり、下級生との動きを上手にこなしたりと、見ていて涙が出るほどでした。子どもたちの顔はどの子も満足そうでした。やりきった充実感を感じられました。

門といえば、入る門もあれば出る門もあります。卒業生の子どもたちが今出ようとする門は、中学校に入るための門でもあります。成長過程における通過する門とも言えます。小学校入学以来毎日通い続け田峯小でしかできない活動をすることも、一区切りとなります。小学校で経験したことを糧に、中学校でも自信をもって生活してほしいと思います。

“背筋を伸ばし しっかり前を見て どんなことにも向かっていく”

そんな気持ちをもって4月から生活をして下さい。卒業おめでとう!

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歳月を経て
卒業生保護者から

多貴ちゃんへ

小川亜紀

メガネをかけて髪を一つに束ねると、とっても似ているらしい娘と私。嬉しいような、恥ずかしいような・・・。それを聞いても娘は嫌がっていないから、まあ、いいか。でも、もう少し背と鼻が高くなるといいなあ。

小学校での6年間は大きな怪我もなく、健康に過ごせたね。私も超健康体だから、そこも似たのかな?学校生活では、低学年の頃からしっかりしていて、友達と仲良くしてクラスをまとめてくれる優等生。その反面、もう少し積極的に行動したらとも。確かに会長より副会長、一番より二番目でサポートするのが得意。人の前には立ちません。やきもきしたけどそういう人も必要かもね。でもそんな娘は、家では妹と激しい口喧嘩!イライラしている時は、私のオシリをペチペチ叩いてストレス発散。みんなからは、そんな風に見えない!と言われるよ。私としては本性(ブラック多貴)を出して欲しいのに、そこは上手に使いわけしている娘。我慢しないで自分を出せるようになって欲しいなあ。歌舞伎やテニスは積極的に取り組んでいるから、親としてはいろいろ期待しちゃうんだけどなあ。

さあいよいよ中学生。さっそく勉強についていけるのか、友達と仲良くできるかなど心配している様子。ノミの心臓の娘に対し、年の功?で象の心臓?の母が「大丈夫」と適当にあしらっている状態。たった4人の同級生で頑張ってきたし、地域の皆さん、小学校の先生方が背中を押してくれているよ。前を向いて元気に卒業して、新しい世界に胸を張って進んでね。すぐ後ろには家族がサポートしているからね。♪卒業おめでとう♪

 

娘 へ

山本えり子

夜泣きが酷くてお母さんが目の前に居ないとすぐ泣いて何年も大変だったよ。夜泣き虫さんで大丈夫かしら?って心配していました。今はその涙もくやし涙に変わり、お兄ちゃんに対抗心バリバリ。負けず嫌いな性格だけどその為には努力したりしてるからえらいな~と思っています。

小学校に入学して勉強大丈夫かな?皆と仲良くやっていけれるかな?と心配していましたが、宿題もピアノも学校から帰ったら直ぐ終わらせてあとは自分時間。これが6年間ちゃんと続けられました。計画性をもってやれることはとても大事だね。

書いていて思い出したけど、低学年の時、習字いやだなとポツリといってたのに、今では自分が頑張った一つになったよって言ってくれた時は嬉しかったな。

少人数の学校で子供達もやることいっぱいで大変だったけど、他の小学校では体験できないこともいっぱい。特に先生方との関係はとても深くつながっていますね。ポンっと背中を押して一歩前進できるようにして頂いたり、子供達だけで考える場を与えていただいたり授業以外でもたくさん経験できたこと。今は実感ないかもしれないけど大人に成長していくに連れこの経験が生かされると思います。

来月にはもう中学生、新しい制服を着て登校していく姿が楽しみです。今度は授業以外にも部活もあってとっても楽しみにしてるので是非!がんばってほしいと思います。新しいランドセルを背負って登校した日がつい最近の気がしてなりません。

みのちゃん小学校卒業おめでとう。

 

小さく生まれたけど大きくなったね

竹下奈々代

裕唯が生まれた時は出産予定日より1ケ月も早く生まれ、体重は1736gと小さく無呼吸の時もあり、すごく心配しました。でもその後はすくすく育ち、小学1年生の頃には同級生と変わらない大きさまで成長し、今ではお母さんの背を超えそうなぐらい大きくなりましたね。こんなにも大きくなり、しっかりとしたことに月日の流れの早さを感じます。

お父さんとお母さんの間に生まれてきてくれてありがとう。裕唯の名前は裕唯が幸せになってほしいという願いをこめてつけました。また、裕唯の力で周りの人を幸せにしてほしいです。

この6年間、親子茶摘み、牛糞作業、奉仕作業、指導会、集合学習、運動会、町民音楽祭、マラソン大会、奉納歌舞伎など沢山の頑張りを見せてくれましたね。何にでも一生懸命に取り組んでいる姿を見てとても嬉しかったです。

良い友達や先生方に恵まれ、また地域の方のご支援をいただき、楽しい学校生活を送れた事に感謝して下さい。

これからも裕唯が裕唯のままで一歩一歩成長していってほしいです。親として裕唯の成長をいつまでも見守っています。

卒業おめでとう。

 

ゆっくり大人になってね

泉保 幸恵

琴麻が保育園の年少さんの七夕祭りの時に、短冊に書いた私の願いは

「ゆっくり大人になってね」でした。

まるで、その願いが聞き入れられたかのように幼く

運動会の、徒競走ではお友達が勝ちたくて一生懸命走る中、まだ競争心が芽生えていない琴麻は輪っかのバトンをハンドル替わりにして嬉しそうな顔でブーーーン、なんて走っていき私達を驚かせました。

なので、小学校にあがったばかりは、私が短冊に書いた願いのせいで

お友達や小学校生活についていけるのか、ハラハラドキドキしていました。

しかし、6年生の女子にもなると父親との関わりが少なくなったりすると、言われることがありますが、琴麻は運動会やマラソン大会前になると1年生から続けているランニングに父親を誘って練習をしたりします。

そんな様子を見ていると、まだ少し幼いのでしょうか?

心配した幼さも、今では琴麻らしさのような気がして好きです。

やっぱりゆっくり大人になってね。

小学校6年間、社会見学、運動会、遠足、修学旅行、マラソン大会、アメリカ訪問、奉納歌舞伎、たくさんの思い出をママにも分けてくれてありがとう。

楽しい時間をありがとう。

2020年10月

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