11日(木)学校応援団の原田利夫さんに来ていただき、
第二次大戦中の人々の暮らしについて教えていただきました。
利夫さんが小学校6年生の時に戦争が始まったので、
学校の名前が「尋常小学校」⇒「国民学校」へと変わったそうです。
また、当時の子ども達は、兵隊ごっこをして遊ぶことが多かったそうです。
他にも、現在の田原市を走っている渥美線に、アメリカ軍の攻撃があり、
電車に乗っている多くの人々が負傷されたそうです。
その頃、近くのセメント工場で働いていた利夫さんは、
同級生といっしょに、負傷した3人をリアカーに乗せ、
4km先の病院まで運んだそうです。
利夫さんの最後のお話の中に、
「罪のない人も殺されてしまうのが、戦争だ。」という言葉があり、
子ども達も、今のこの平和な世の中に生きられる自分自身の生活を
大切にしていきたいという思いになったようです。